閑谷学校(しずたに学校) 2011




110822
かつての学びの舎へ行ってきました。


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岡山県 - Wikipedia
上のURLの「教育」の「概要」からの引用:
 『江戸時代に備前国を治めた岡山藩池田光政の代である1669年(寛文9年)に全国初の藩校である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。 特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも入学を許可し、さらには藩主の転封や改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させており、岡山藩が教育を重視していたことが窺える。 また、幕府の薦める朱子学ではなく儒学陽明学)を学ばせ、頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県、山口県に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144カ所)であった。
 明治時代になると1870年(明治3年)に岡山藩医学館が設置され、1900年(明治33年)には第六高等学校が、1922年(大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスとなり、教育を重んじる風土が醸成された。』




おわり