犠牲祭

今日プレゼンがありました。
朝9時から5人がそれぞれやって、15時にようやく終わりました。
一日がかりだった・・・
大学院の博士論文の中間発表と、他分野の研究をまとめたプレゼンでした。
一安心ですがしっかり勉強しなくては。
引き締めんと。今夜は飲まないと!



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またインドネシア記事を載せます。
2008年の12月のこと。



レバラン ハジ(Lebaran Haji)という「犠牲祭」に参加しました。
牛を解体し皆(貧しい人)に配るという祭りが年に1度あるのです。

私はイスラム教徒でないけど見学していいの?、と思ったけど、インドネシアの友人に誘われたので行ってきました。
各マスジット(モスク:寺院)で数頭ずつやっちゃうので(このマスジットでは7、8頭)、全イスラム圏ではものすごい数の牛さんたちがさばかれたんでしょう。





イスラム教徒がお祈りするときに使うマスジットの庭に、数頭の牛と大勢の人が集まりいよいよ始まりました。




おじいさんが紙にかかれたイスラムの呪文?を読み上げる。じいさんのもう片方の手には、「パラン」とよばれるでかいナタが。まさか・・・



おじいさんが読み終えると、数人の大人が出てきます。そして、牛におそいかかる。牛を一斉に引っぱったり蹴飛ばしたりして、ともかく地面に横倒しにします。
ここに集められていた牛はどれも小さいものでしたが、それでもやはり強靭な体をしていました。
牛一頭倒すのは、人一人ではかなり厳しいのです。
みんなでかかり、ようやく動けなくする。



そして




おっちゃんが





返り血を浴びる・・・ピッ・・・!





これが生きた血か、
これが殺すってことかと、
直接手を下してないからでかいことは言えないけれど、納得。








好きなものは「肉!」と答えたり、肉食べてーと思うことが多いけど、
手を下す人がちゃんといるんだということを、体で知ることができました。
牛もかわいそうなんだけれど、殺す人に感謝というか、お疲れ様という気持ちのほうが大きかったです。





日ごろ食べてる肉もこうやって手をよごす人がいて作られるということも改めて認識しました。




そうそう、牛は首を切られて血がドバドバ流れても、そう簡単には死ねません。
五分くらいはじたばたします。
うんこももらす。
彼らの中から取り出された白い臓物の中には、今日食べた草がうんこになってぎっしり詰まってます。



これらは全部自分にも当てはまるんだと思いつつ見てました。
時代劇みたいにきれいにすぐに死ねないよ。腹を切られたら内臓が出るし、内臓まで切られていたら、うんこも飛び出るんだ、ということです。




表面的なものをちらっと見ただけですが,日ごろ隠されている部分を知ることができてよかったです。日本は、そんなもの隠せ隠せ、という方に向かっていやしないだろうか。
それで、こういう儀式が日本にあってもいいんじゃないかと思ったりしました。
将来イスラム教徒が劇的に増えたら・・・なんて。




おわり